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2022.12.22
[レポート] 大人の学びなおし第4クール 第4回講義 (2022/12/20)
大人の学びなおし第4クールの第4回講義は、愛知県立大学音楽学部 安原 雅之 教授を講師に迎え、「激動の時代とロシア・ソヴィエト音楽研究」(領域:芸術(音楽))をテーマとして講演いただいた。
◇講演要旨
1980年代からの安原先生の研究の流れを振り返りながら、そこから見えるロシア・ソヴィエトの音楽、研究の特徴について説明。始めにスターリンからゴルバチョフまでのソヴィエト連邦の歴史を振り返った後、研究旅行の楽しいお話を交えながらも、激動の時代を実際の音楽と共にお話いただいた。
安原先生がロシア・ソヴィエト音楽研究を志した1980 年頃は、ブレジネフ時代の末期。
1度目の研究旅行は1983年。当時のソ連はまだ鉄のカーテンの向こう側にある国。
シベリア鉄道に乗ってモスクワへ行き、そしてベルリン国立図書館でアルトゥール・ルリエについて資料を収集し、卒業論文を制作。卒論テーマは「ロシア・アヴァンギャルド音楽研究」。
旅行中には、偶然ベルリン芸術週間でロシア・アヴァンギャルド音楽が特集されており、毎日コンサートに通うといったこともあったとか。
「アヴァンギャルド」とはもともと最前線という軍事用語であったが、19世紀ごろから最先端の芸術を指す言葉として使われるようになった。アヴァンギャルドとは、伝統から一歩踏み出した程度の前衛的さではなく、偶像破壊的、単に少し先に進んだものではなく、これまでの物を壊して新しいものを創るという、多くの人には一見受け入れがたいような前衛さを本質に持つ。その、古いものを壊して新しいものを創るという姿勢はロシア革命と類似する風潮であった。
ロシア革命は1917年であるが、ロシア・アヴァンギャルドはその少し前から始まっていたという。その代表としては、ウラジーミル・タトリンの第三インターナショナル記念塔(1919年)やフレーブニコフらの未来派オペラ(1913年)、マレーヴィチの抽象絵画などがある。こういったものが芸術における革命を起こし、社会で革命が起きていった。芸術と社会がこれほど蜜月であったのはこの時期のみで、革命10周年の頃には、政府が次の革命を阻止するため、芸術の弾圧がされるようになり、長くこういった活動が世に知られなくなっていった。その後、フルシチョフ時代の雪解けの頃からようやく注目されるようになり、海外の美術館等で大きな展覧会が開かれるようになったとのこと。
音楽における「ロシア・アヴァンギャルド」では、11名の音楽家について紹介があったが、革命の最中、亡命する音楽家もいれば、地方に流された音楽家、残った音楽家もいた。
1985年の2度目の研究旅行は、ゴルバチョフ時代。作曲家同盟の加盟者しか入れないレストランにて、当時禁酒政策が始まっていた状況下でペプシ・コーラの瓶に入ったコニャックを飲むといったソ連社会の話も交え、モスクワとレニングラードでの資料収集について紹介。アヴァンギャルドの音楽家や活動は歴史から抹消されており、亡命した音楽家は音楽辞典や図書館からも表では消されていた一方、裏には亡命先で出版した楽譜などまで全て収集してあったという。安原先生は偶然、ルリエの資料を閲覧できた。
その後、アメリカ留学を経て1991年9月にロシア(モスクワ)へ留学、1991年12月、安原先生はソ連崩壊をモスクワで経験した。国が変わり、ロシア・ソヴィエト音楽研究を取り巻く環境も、大きく変化していったという。
アーティストという破壊と創造を言葉以外で表現する存在を扱うこと、またロシア・ソヴィエトという今注目の国の歴史や性質を取り扱っていただいたことは、多くの参加者の刺激になったようだった。参加者からは、「普段聞かない音楽に触れたことは新鮮」、「普通の音楽とは違う概念を知ることができた」、「こういう世界もあると知っただけでもよかった」、「現地に行かれたからこその衝撃があった」、「従来の延長線上にはない、新しい考え・観点を模索して具現化していくアーティストのスタンスがとても参考になった」といった声があった。
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