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2023.06.16
[レポート] 哲学の夕べ#2(2023/6/9)
大人の学びなおし第4クール特別回として開催した「哲学の夕べ」より、再び豊田工業大学の江口 建 教授にお付き合いいただき、「『学びなおし』は何をもたらすか」について対話を深めるため、第2回を開催しました。
◇要旨
先回、「学び」とは何かを語り合って見えてきたのは、学びなおしには、「会社や国が経済回復や転職のために推奨する個々のスキルアップ」、「人生や人間性を豊かにするための教養・趣味」の2種類があるということでした。
前者は、「必要に迫られて」やるものであり、場合によっては「苦痛」と結びつくこともある。しばしば成果(アウトプット)を出すことを求められる。
後者は、それをやることが自分にとっての「喜び」につながるものであり、それが動機になっている。必ずしも成果と結びつかなくてもよい。
この2種類の学びのうち、イノベーションや経済成長につながる「学び(なおし)」は、どちらなのか。あるいは両方なのか。私たちが今のうちに本当にやっておくべき学び(なおし)とは何か、から対話をスタートしました。
イノベーションにつながる学びを考えるに当たっては、まず「イノベーション」とはどのようなものかを考える必要がありました。
この日の話では、「イノベーション」は、今の延長線上のみでなく、新しい外からの情報が融合し、生み出される革新的なものという意見がありました。そしてイノベーションには、素地となるこれまでの学び+新たな視野外の学び+実行力がなければならない。
では実行力を引き出すものは?
大企業は決定の影響範囲が広く、リスクを取りづらいのは事実。
一方で、同じ企業の中でも所属(上司)が異なると、同じ事柄に対しても決定が異なるという現状もあります。
これはやはり、大企業でも中にいる人の意向(マインド)次第でリスクを取った行動ができるかもしれないという可能性かもしれません。
危機感が無いから行動に至らないのも一つ。海外に行くと危機感を感じやすいという話もありました。危機感を感じるだけの学び・経験も必要かもしれません。
会社の学びと自分の学びに対する違いについても考えました。
昇任の要件、研修など、組織から強要される学びには思いが入りにくい。かといって、プライベートな時間に仕事で必要なスキル以外の学びを得ようとも思わない。
普段の仕事でも、危ない、リスク管理が大事と言われてもピンとこない若い世代も多く、困っているという話もありました。道路などの生活環境、果ては人生における学びの過程まで安全設計されており、必要性を感じられないのではないかという意見もありました。
便利・安全を追求した結果、自ら学ぶ思いと機会が奪われてしまったという側面もあるかもしれません。
スキルアップ研修とは別に、自己啓発支援制度を設けている企業も多いようです。
企業で使えるスキルアップについては必須、その他の啓発については補助はあるが内容は個人にお任せという制度が主なようです。
何を学ぶべきかを考える上で、やはりAIの発達は欠かせない話題でした。
人間の知識量を遥かに超え、かつ回答も出してくれるAIが存在する中で、人間に残るものは、残すべき価値は何なのか、もはや残すべきなのか。学ぶ必要はあるのか。
例えば、記憶力や演算処理能力、情報収集力、データ整理力・分類力などに関しては、すでに人間はAIに勝てません。「創造力」はどうでしょうか? 私たちが「創造力」という言葉で呼んでいるものも、いずれAIで模倣できる日が来るかもしれません。
事実、音楽や絵画、小説など、芸術と呼ばれる分野(これまで人間だけの特権とされていた創造的活動)における近年のAIの進化には、目を見張るものがあります。
AIが人間の脳を模しているならば、人間が考えることは技術が追いつけば全てできるようになる可能性があります。
「感情」はAIには搭載できないのではないか、という意見が挙がりました。
でも、「感情」とは何でしょうか? 例えば、「あの人は怒っている」、「あの人は悲しんでいる」、「あの人は喜んでいる」とわかるのは、なぜでしょうか? それは、顔の表情や、言葉、しぐさ、といった「外面に表れる徴候」をもとに、その人の内面を「類推」しているからではないでしょうか。そして、こういった類推であれば、パターンをこまかくAIに学習させれば、いずれAIが「感情」のようなものを実装することは可能になる可能性があります。
少なくとも、人間が「悲しんでいる」のと区別がつかない程度には、AIも「悲しんでいるふり」をすることはできるようになると思われます。そのとき、その「悲しい」という感情は、本物なのか、それとも「ふり」なのか。AIが「私は本当に悲しい」と主張したときに、その言葉が本物かどうかを、どうやって見極めるのか。
AIの出現、時代の変化により、人が学ぶべき事柄、人の存在意義にも変化があるのでしょうか。
AIが社会の至る所に浸透し、人間のほとんどの活動をAIが肩代わりしてくれるようになったとき、なお人間が何かを「学びなおす」余地はあるのでしょうか。あるとすれば、それは何なのか。少なくとも、「目先の」リスキリングによって効率化を果たせる程度の業務内容は、遠くない将来に、AIが人間よりも正確かつ効率的に実行してくれる日が来るでしょう。
引き続き、「学び」のもたらすもの、「学び」の目的について考えたいと思います。
次回は9月29日(金)18:30~です!
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