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2022.02.18

[レポート] 大人の学びなおし第3クール 第7回講義 (2022/02/09)

大人の学びなおし第3クールの第7回講義は、愛知県立芸術大学 音楽学部 井上 さつき 教授を講師に迎え、「ピアノの近代史~技術革新、世界市場、日本の発展~」(領域:芸術-音楽-)をテーマとして講演いただいた。

◇講演要旨

今回は、日本のピアノ製造の歴史を世界の流れの中において考えてみる。2020年、楽器メーカーの市場シェアの上位3社が日本のメーカーである。ショパン国際ピアノコンクールの公式楽器には4つのコンサートグランドピアノが選ばれているが、そのうち2つが日本のメーカー製であり、いまや日本は洋楽器大国となっている。

ピアノは1700年頃にイタリアで発明され、それから150年間様々な改良がおこなわれたが、基本的に手作業で作られていた。その後、1840年代には大量生産が開始されたことで、良質な楽器が量産され、ピアノはより広い階層の人々にも手が届くようになった。

一方、日本では明治の学制改革で公立小学校にアメリカ式のリードオルガンが導入された。1887年に、浜松でオルガンの修理を依頼されたヤマハの創業者である山葉寅楠は、それまでの渡り職人としての経験から苦も無くオルガンを修理し、そこでその将来性を感じ取り、オルガン製造を志した。1904年にはヤマハのオルガン生産は、すでに年間7,000~8,000台にまで成長し、短期間で発展したオルガン製造。そして、この頃には、清国、上海、天津などにも支店を設け、年間輸出台数は500台に達していた。その後、国産ピアノの本格生産もスタートし、洋楽器産業は、戦前、日本の代表的な産業となった。日本のピアノ製造の特徴は、ピアノの前に、オルガンを作るところから始まったことである。

文化に根差した製品である楽器を、異なる文化を持つ国が取り入れることは当然困難を伴う。しかし、日本ではそれが行われただけでなく、短期間のうちにその楽器を量産し、明治期から諸外国に輸出していた。さらに、20世紀後半には、急激に生産台数を伸ばし、日本はピアノ大国となり、一般家庭への普及率においても世界トップクラスとなった。こうした事例は、音楽史上類を見ない。
日本では、どのようにしてオルガン製造が始まったのか?それが、ピアノ製造の発展にどのように影響したのか?今回は、日本のピアノ製造の歴史を、教育行政、楽器メーカーそれぞれの想いも紹介しながら読み解いた。

 

 

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