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2024.01.12

[レポート] 哲学の夕べ#4(2023/12/15)

定例プログラム「大人の学びなおし」から派生したガレージ哲学カフェ「哲学の夕べ」の第4を開催しました。今回も豊田工業大学の江口 建 教授にお付き合いいただき、「哲学対話」の手法について理解を深めるとともに、「学び」と「イノベーション」の関係について対話を深めました。

◇第3回までの(超ざっくり)振り返り

第3回 レポートはこちら
テーマ:
①AIと人間とイノベーション+なぜ「イノベーション」が必要と言われているのか
②イノベーションにおける「多様性」の役割
「イノベーション」とは何かを、AIと人間、多様性という視点から語り合って辿り着いたのは、「失敗=(挑戦?)」できない組織風土に対する問題意識だった。
平均的で最適解を出すAIにはイノベーションは起こしえないと考える一方、高度成長期からの長年の積み重ねで同一・大量の作業を効率的に行うための「同質な人材生産」を日本企業が得意とするようになり、多様性を苦手としてしまっているのではないか。
⇒この変化の時代に、自分たちの思考を変え、上手に「失敗(?)(=挑戦?)」できる組織、一人ひとりの多様な価値を求め・見出し・活かす組織を創っていくには? 

◇第4回要旨

第3回の申し送りに加えて、3グループに分かれてそれぞれ少し違う切り口から組織の失敗について対話しました。

グループ①なぜ、上手に失敗できる組織、一人ひとりの多様な価値を求め・見出し・活かす組織になれないのか?

まずはこの問いに対して、失敗の経験があるか?から意見を出し合ったのですが、
・時間的余裕がない
・実務者は失敗が許されても管理者が許されない雰囲気がある
・人命関係は失敗が許されないのは分かるが、それ以外でも失敗が許されない
など、本当にトライ&エラーできる余裕や自由が無いようです。

また、方針はチャレンジしよう!となっているそうなのですが、結局は失敗しないように教育するそうです。
なぜそれほど失敗を恐れているのでしょうか?
上司の評価が下がる恐れのほか、そもそも質問すること自体にも恐れがあるそうです。

とある意見では、チャットGPTの方がどんなに下らない質問をしてもダメ出しせずに何らかの答えを返してくれるので教育ツールとして心理的安全性があるという話までありました。

では、チャレンジしよう!という方針は何を求めているのでしょうか。
やはり失敗からの成功を求めていると思われます。ただ、ここで求められている失敗には許される失敗と許されない失敗があると思われます。

許される失敗とは?
・全ての失敗は成功の元なのだから全て許されるはずなのでは?
・学びに繋がる失敗ならOK(意思ある挑戦による)→失敗じゃない
・関係性でも変わってくる(信頼関係・顔の見える関係)

許されない失敗とは?

・学びに繋がらない失敗
・真剣でない失敗、他責にする失敗は許されない
⇒真剣でなく、学びに繋がらない失敗はなぜ生まれるのか?
⇒楽な方が得と考える人が一定数いる⇒やったフリ失敗だけ生まれる
⇒どう指導すれば良いのか?適材適所?
⇒得意なこと、好きなことの失敗は糧になる⇒やっぱり適材適所??

結局、組織として失敗しない
挑戦と変化を否定しても現状問題にならない。現状維持が一番と考えている
・うちの会社じゃできないよね、となる
ということで、個々人、そして組織としての意識改革が必要である!というところで対話は終わりました。なぜ、このような意識になっているのか。グループ②の対話にも少しヒントがありそうです。

 

グループ②意思決定に必要なコトとは

人生には様々な意思決定があり、朝何を食べるかも意思決定の1つだったので、今回は「意思決定」を、「組織で何かに挑戦する時の意思決定」と定義しました。

決裁時に必要なもの、または必要でないものは何か?の問いかけに対し、まずは「成功率」という意見が出ました。これがどうにも厄介もので、例えば人命の関わらないような案件でも車と同等の品質ルールを転用し、無駄に厳しい画一ルールになっており、挑戦や失敗を阻害しているケースが往々にしてあるそうです。

現場は、事案に応じてルールは変えるべきと思っているものの、そうはいかないようです。
それはなぜか?
・ダブルスタンダードを創ると緩い方に流れてしまう。
・根拠や責任を持つことが重く、案件毎にルールを作るのが面倒。
・ブランドの背負うものが大きく、失敗で他部署に迷惑をかけられない。

といった要因がありそうです。
まさに大組織あるあるといった感じで、意思決定の広さやリスクで組織を分けるべきかもしれません。出向起業などはこれに当たりそうです。

続いて、意思決定者の追い詰められ度が違うという意見が出ました。

終身雇用がもたらしたものは、失敗してもクビにならない安全性ではなく、失敗しなければ挑戦しなくても減点されない、頑張らなくて良い(頑張ったもの負けの)仕事の仕方だったのではないか。いつまでも『逃げ切りたい人』が決定権・評価権を持っているという現状があると言います。そして、頑張らなくて良い仕事をしたくない人は組織を去っていき、後に残るものは…考えるだけでも恐ろしいですね。

とはいえ、簡単に外から人を採用することもできないといいます。

それはなぜかと問うと、

⇒手塩にかけて育てた人材が上に上がっていく体制が続いてきた中で、知らない育ち方をしてきた人材が有効か否かが判断できない⇒人の目利きができないようです。

なぜ、判断できないのか?

⇒組織の人間以外と接した経験が無いため、その人材の履歴書や面接からその能力の価値を評価することも、その人材の情報を収集することもできない。

そうして組織の雇用に流動性もなく、頑張らない人達だけが集まった組織でプレッシャーと閉塞感にさらされていれば、全国的に社会不安が満ちている昨今の状況下で、頑張らなくて良い仕事=「成長の見えない仕事」をしたくない若者が組織を去っていくのは当然かもしれません。

とにかく、組織の外に越境して視野を広げることが大切なように思われます。

まさに、価値観をアップデートするリベラル・アーツが今この日本に必要であると感じた瞬間でした。

もう一つ、面白い話がありました。

AIやロボットが人間の代わりに働いてくれるようになったことで、これまでの口を開けていれば仕事が振って来た時代から、人がより仕事を選べる時代になり、人と仕事の擦り合わせに変わっていると感じていると言います。

また、便利なモノに満たされ、モノ余り、コト重視の時代になったものの、モノづくりで発展してきたこの地域は、コトづくりに慣れておらず、迷子になっていると言います。

そんなキャリアデザインもコトづくりもやったことが無いのにどうすれば良いのか?

⇒その価値観を知っている若い世代に任せるべきなのかもしれない。

とはいえここでも、そう簡単に任せられないと言います。

その人材が描いている価値観を理解できず、なかなか肯定できないようです。

これも結局は、組織の外の多くの人やコトを見て、聞いて、価値観をアップデートする必要がありそうです。意思決定をするのは人であり、その人の目利きが大事であるというのは前回の話の後、江口先生からフィードバックを頂いたことで、今回は自分たちでここに辿り着けたように思います。

グループ③意味ある仕事とは
まずは率直にこの問いに対して意見を出し合いました。
・人の役に立ちたい←承認欲求?
・上司のため(だけ)に資料を作るのは、むなしい←本当に無駄か?必要な物もある。
・労働時間を守るため、他の人に「もう帰るの?」と思われないよう、意味の無い仕事も作って残業することがある

といった意見が出ました。

特に最後の、労働時間で評価する価値観はアップデートが必要なように思います。
特に現代の若者はそのような価値観を持っていません
逆に、「意味の無い仕事はあるか?」という問いかけが出ました。
というのも、無駄な仕事など無く、あるのは「無駄」か「仕事」かとのことです。
上司のために作る報告書でも、上司に適切に評価してもらい、自らの信用を高め、牽いては家族を養っていくための物になり、これはれっきとした意味を持つ「仕事」ではないか。

ここから、何のために働くか、という話題に移りました。

社会のため、人の役に立つため、自分の信用を高めるため、上司から認められるため、家族を養うため・・・さまざまな目的があります。ある参加者から、「信用貯蓄」という言葉が出ました。小さなミスを重ねて貯蓄が減ったり、大きな失敗をしてマイナスになったりすることのないように、部下にも失敗させないように指導するそうです。グループ①の対話でも、「結局は失敗しないように教育する」という意見がありましたが、どうしても人は失敗をマイナスと見なしてしまい、安全策を取ってしまう傾向にあるようです。

これには、「とりあえず、やらせてみるのも大事」、取り返しのつかない失敗の手前で救い上げることが大事という意見もありました。

では、本当に取り返しのつかないことって、どれくらいあるか?
・お金や物質的なものは、たいていはその気になれば取り返せる
・ひとたび失った信用を取り戻すのは容易ではない

ここまでの対話から、失敗には2種類ありそうです。
イノベーションにつながる失敗←新しい企画立案←やってみないと結果が分からないもの
凡ミスによる軽率な失敗←本人の不注意や、手抜き、怠惰に由来
となると、イノベーションにつながるような「意味のある」失敗であれば、とりあえず「やってみる」ことに価値はあるけれども、不注意などの軽率なミスは、本人の信用を損なうだけであり、気づいた時点で早めに指導を入れるほうがよい、ということになりそうです。

しかしそうは言っても、なかなかその「やってみる」一歩を踏み出せません
それはなぜかと考えると、どうも「自分はその仕事しかできない」と思い込んでいるから、他のことができると思えず、やろうともせず、現状困っていないから思考停止しているだけかもしれません。

いずれにせよリスキリングは必要であり、作業の効率化を図るためにも、本当に意味のある仕事(人間にしかできない仕事)と、意味のない作業とのあいだの線引きが、もっと明確にできるとよい、という意見があがりました。

ここで一巡して、「意味のある仕事とは?」という問いに戻ってきました。
とある参加者が別の場所で聞いたことがあるそうなのですが、その仕事が「好き」であり、しかもそれが「得意」であり、かつ、会社にも「経済的利益」を生み出し、おまけに「社会的にも意味がある」。

このような仕事が見つかれば、とても働き甲斐がありそうです。
別の参加者からは、かつて上司から言われた印象深いアドバイスとして「石切り職人」の話が紹介されました。ここに、別の参加者から、4人目として、ただ石を切ることが好きで、石を切る人が追加されました。そしてこれは、好きなだけの人は良いものを創るとは限らない、目的が大事とのことです。

これらの対話を踏まえ、最後に、日本の人事評価制度に話が及びました。

変化やイノベーションを恐れるようになる要因は、どうやら、成果を上げた人が上に行くシステムではなく、失敗した人の点数が下がる評価制度に問題があるのではないか、とのことでした。そして、自己保身のために守りに入り、冒険をしたがらないこのシステムが続く限り、イノベーションは起こらないだろうということを、多くの参加者がすでに実感していました。この洞察は、まさにグループ②の対話の中で出た、終身雇用がもたらしたものは、失敗してもクビにならない安全性ではなく、失敗しなければ挑戦しなくても減点されない、頑張らなくて良い(頑張ったもの負けの)仕事の仕方だったのではないか」という見方ともつながってきます。

そしてこのチームでも、これまでは目標が明確でやることが決まっていたが、今は業務内容が多様化しており、かつ人手不足の中、会社ならではの「ウリ」を出す必要があり、そのために、いろんな人と意見交換し、アイデアを出し合って、何が有効なのか、どんな方策が可能なのか、といったことを絶えず考える必要に迫られている、という話がありました。

さて、以上全てのグループの対話を踏まえ、今のような時代においては、失敗を恐れずにチャレンジすることが必要であり、点数が下がることを恐れて、現状維持に甘んじていれば乗り切れた時代は過ぎたように思います。

そしてそれは少数のマインドが変わるだけでは不十分であり、組織、あるいは社会全体で、失敗を恐れず挑戦できる仕組みを作っていく必要がある。そのためには新たな価値観を知る若者の力を活かすことを始め、組織の外の多くの人や情報に触れ、価値観をアップデートすることが必要である。まさに、「学び(リベラル・アーツ)」と「イノベーション」にまで話が戻ってきたように思います。

次回は「面接の意味」や「理系・文系で分ける意味」といった切り口から「人の目利き」について考えてみたいと思います。

次回は3月15日(金)18:30~です!
詳細&お申込みは追ってお知らせします。

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