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2024.03.15

[レポート] 大人の学びなおし第5クール 第10回講義(2024/3/12)

大人の学びなおし第5クールの第10回講義は、上智大学大学院実践宗教学研究科から佐藤 啓介先生を講師に迎え、「生も死も「迷惑」となった現代日本社会」(領域:死生学)をテーマとして講演いただいた。

 死や生の捉え方は時代ごとに大きく変化している。
 縄文時代の自然と一体化するといった思想や、仏教が入ってからの極楽浄土へ行く、といった伝統的な死生感は現在急速に衰退している。

 日本人は戦後、平均寿命がまだ60歳代の頃までは「長寿」を願う傾向にあった。
 その後公衆衛生が発達した1970年度になると、平均寿命が長くなり、自宅で老衰を迎えるよりも病院で死ぬようになり、「死」が身近なものでなく、生活から見えなくなるようになる。

 1980年代頃には、人は単純な「長生き」を願わなくなり、かつ癌で亡くなる人が増えるようになり、死ぬなら「苦しまない」死を、「ピンピンコロリ」で死ぬことを願うようになった。
 このような中で、人々は徐々に「自分がどう死ぬか」を考えるようになり、2000年代の終活ブームに繋がっていく。
 そして現代、人は財政的理由から、「老後のお金がないから長生きしたくない」と願うのみならず、「社会の迷惑・負担になるから長生きしたくないし、迷惑をかけない死に方をしたい」と願うようになり、さらには「社会の迷惑・負担にならないよう、生きるにしても病気にもならない」ことを願う社会に変容した。

 一般的に終活ブームの中で理想とされる死は、1.苦しまない死(80年代ピンピンコロリの延長)、2.自分らしい死(00年代以降の新しい理想)、3.迷惑をかけない死(00年代以降の新しい理想)の3つを満たすのが「美しい死」とされていく。
 他人の生や死を「迷惑」で抑圧し、さらには自分の生や死を「迷惑への忌避」によって萎縮させる時代が現代だと言える。

 なぜ、このような考えが出てくるようになったのか。今回の講義では、死や生の捉え方の変化を辿りつつ、現代日本社会で人びとが死生観において「迷惑」というキーワードを持つようになった問題と構造、その影響について考えた。

 

 自分らしく生きるために「健康」を維持するのではなく、会社の迷惑になるから、社会保障費の負担になるから、そのような理由のために健康を維持するようになり、「健康であることが社会に貢献する」「病気になることは周囲・社会への迷惑になる」という思想を持つようになっている。
 本来、社会保険は、不慮の事故や病気になった人を支えるための「連帯」の思想のもとに発達したはずであるが、逆に今私たちは、「公的な社会保険制度を維持する」ために健康を強いられるようになったとすら言える。人は誰しもお互いに世話になり合うものであり、必ずしも「財政的余裕があればヘルパーなどアウトソーシングできるのに」という問題でもないのではないか。

 生や死を「迷惑」で考える時代は少なくとも健全とは思えない。このような時代をどうやって抜け出せるか、目を反らさず、考えなければならない。

 

 

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